瞑想


瞑想、とはマインドがこの現象界にアクセスする手段である五感を、一時的に焦点をずらし、そのマインドそのものである自我の根源に至るワークが瞑想といわれる。
そのマインドの根源に至ったとき、あるはずの「私」は存在せず、真我が輝き始めるという。
沈黙と瞑想こそが、このワークにおける決め手である。

ここでもやはりラマナ・マハルシの言葉が私を導いて下さっている(以下「不滅の意識より」抜粋)

・対象への瞑想において、あなたは単一性という、その感覚を破壊し二元性を作り出しているの   
 です


・ハートは意識(大)の座に他ならない

・真我に対する瞑想の間に、想念は実際、ひとりでに消えていくのである。
 瞑想は様々な対象に 向けることが出来るが、本当の真我に向けられたとき、それは最高の対   
 象に、あるいはむしろ 主体に向けられているのである。



・一つの対象への瞑想は役に立ちません。こういうわけで、あなたは主体と対象が一つであることを悟るように習熟
 しなければなりません。

・真我に対してだけ瞑想しなさい。身体はあなたではない、知性はあなたではないということを悟るように努めなさ
 い。これら全ての想念が静かになったとき、あなたはそこに在る何か他のものを発見するでしょう。


質問者:何に対して瞑想すべきですか

ラマナ・マハルシ:瞑想者は誰ですか。まずそれをたづねなさい。瞑想者としてとどまるなら、瞑想する必要はあり
           ません。これはディヤーナへの障害となる行為者という感覚です。

ラマナ・マハルシ:黙想は戦いを含んでいます。瞑想中にこの戦闘が常に行われます。心の平安は、黙想によって
           多種多様な想念をなくすことによって通じてもたらされます、ひとたびディヤーナがうまく定着する
           と、それを止めることが出来ず、あなたが仕事や遊びをおこなっているときにさえ、また眠りの中
           においてさえ、自動的に進行しているでしょう。それがあたかも天性であるように、深く根付くよう
           にならなくてななりません。

質問者:空白が行き渡り、死の恐怖を覚えます。

ラマナ・マハルシ:誰がこの空白を見るのですか。空白を見渡している意識は真我です。真我の恐れは想念が生じ
           た後だけやってきます。あなたは誰の死を恐れているのですか。誰に恐れがあるのですか。真我
           と身体との同一視があります。それがある限り、恐れがあるでしょう。

ラマナ・マハルシ:真我を知る前に古いヴァーサナと心を完全に絶滅しなければならない。もしあなたが真我への思
           いを持ち続け、一心にそれに注意を向けるならば、集中において焦点として用いてきた、
           一つの想念さえ消え失せ、そしてあなたは、「私」あるいは、エゴを持たない本当の真我、
           ただ在るだけだろう。

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