「私は身体である」と考えている人びとだけが生まれ変わりについて語るのです。
「私は真我である」ことを知っている人々について、再生は存在しません。
生まれ変わりは無知があるときだけ存在します。
現在も以前も今後も、身体をもつことはありません
これが真実です。
ラマナ・マハルシより
これはあくまで私個人の推測であることを最初にことわっておきます
こういう事は、その自分のレベル以上のことは分からないのです
−ですから霊界通信や体外体験をしても、その情報ソースや体験は自分のレベルと同調してしまうのです
そういうわけで知識や体験で得ることは真実ではありません
体験すらがそうなのです
自分のレベル以上の体験はできないのです
全容の理解は
死(肉体の死は死ではありません、私というこの個別性の本当の死です)を通して、真我の体験のみが
真相は自ずと、非二元性の中で開示されるでしょう−
霊界通信などは通信してくる、その方が、いくら全てを理解したと言っても、その方のレベル以上は本人
にも分からないのですから
以下私の推測です
意識の座はどのようにして肉体に宿るのでしょうか
わたしには、死後の世界でなく、死後の世界から再び転生する仕組みの方が興味があります
概念やマインドではある一定のことしか、明らかにならないと思います、それを承知の上で読んで下さい
転生に際して、
始めに認識しなくてはならないのは、概念の整理です、誕生は決して高次のレベルのシステムではないと
いうことです。
この物質の現象界に生まれたこと自体が、非常に私達が未発達で低次であり学ぶべき多くのことがある
故に転生してきたのです。
高次である場合は転生はしません。
@受胎の段階で確定(預託)されると思われるもの
T観照者(意識に昇らない真の主体でコーザル体・若しくは魂といわれるもの、この現象界で
誤った私という人格を成立させている責任主体で、このコーザル体のなかに幾多の前世で
積み重ねた記憶や高次身体が収められている)がどの肉体に宿るかが決定され預託さ
れる
観照者に収納されている身体・機能とは
T:客観的な記憶(主観的な記憶はワサナや想念帯にあるといわれている)。
U:真性サイキック体(よく言われているアストラル体は肉体を基盤にしてで作り出され
た感情等の機能を司る身体で、この真性アストラル体で
はない。
これは
は幾多の転生を通じて徐々に作られていく第2身体のことで、通常言われているとこ
ろの霊界や幽界での生活を終えて転生する際に消滅するアストラル体ではなく、逆
に幽界や霊界などで次元を超えて機能できる高次の第2身体といわれ、気づきの段
階に応じて形成される身体と言われている、
またサイキック体にあるチャクラも同じように各人の気づきで、その気づきのエネルギ
ーで自動的に形成されといわれる、開花されると言われていて、人為的に開花させよ
うとしたり、エネルギーを上げようとすると間違った結果を招くとも言われている。
( 各人生を通じて形成されるこの高次諸体はまだ卵形で肉体と同じ形態にまで発展し
ていない、また発展した場合はサイキック体で幽界、霊界での自由が、ノエティック体
でそれ以上の階層と他の天体の住民とのコンタクトと移動が自由になる、さらには
分身などが可能になるといわれている)
V:真性ノエティック体(これも同じように俗に霊体といわれているが、幾多の転生での気
づきのワークからのみで形成されていく身体で第3身体と呼ばれている、この身体が
完全に形成されると分身やテレポテーションやテレパシー、物質化現象、次元や空間
時間の移動、又他の太陽系などのへの移動がより可能とされる)
V:第4身体
これはよく分からないが、大きさは空間の概念を超えて拡がり、人類に影響を与え
るとされるが、各種の身体から発せられるオーラではない 、オーラは特定の色と形
と香と音を発していると言われている
U:このときからこの肉体独自としての意識と記憶は発生する
心臓の中核に生命の本体である真我はまだ宿っていないが、宿るべき特定のスピリットの5
つの身体は、生まれるべきこの胎児に預託されている状態である、
即ち生命(肉体の生命ではありません)としては母親のいのちのみであるが、有機体としての
機能は母親とは別の存在として機能し始めている
V:その特定のスピリットに関わる、多くの過去の人格であるワサナ(五蘊)や、カルマが引き寄せら
れ、肉体の形成に関わりはじめる、各種の遺伝的条件が形成され、特質が決定する
ワサナやカルマはサイキック体の特定なチャクラに引き寄せられる、取り憑き、自我群を形成する。
肉体脳を使用するので、意識的には持続した統一性ある人格と錯覚されるが、多くの人格群が
パーソナリティーを形成している。
W:エネルギー体(エーテル複体)の形成が始まる、このエネルギー複体が、肉体の生命の維持と発展
をとりまとめていく
X:その特定のスピリットの一生の明細な運命の設計図が肉体に入る 。そして条件付けられる。
A誕生時
T:胎児が誕生しての初めての呼吸で、この肉体に入るべきスピリットは前世から引き継いだところの、
まだ形成途中のサイキック体、ノエテイック体を収納してこの肉体と繋がる。
真実の意味で新しい生命の誕生となる。
(しかし、このスピリットが完全に肉体に入り、頭蓋内の松果体に完全に、繋がり落ち着くのは7才ま
でかかるといわれている)
肉体自身の意識もこのスピリットとは別に存在しているが、あくまで、その意識は肉体に属し、肉体の
消滅と同時に死滅する
従って、魂というべきスピリットが肉体を離れていても、肉体は自動的にある程度の日常的生活は
可能である。
入ったとたん(肉体の脳と繋がったとたん)、私達の本来の意識の座であるべきスピリットは、肉体
とその脳の中に閉じこめられ、真性の記憶(ワサナの持つ人生の記憶はマインドとしてのその人生
の記憶であるが、この記憶とは異なる)は閉ざされ、忘却状態になります。前世は忘却されます。
ワサナ(私達が作った過去生の人格の凝縮で、記憶と意識は持っているが、いのちではない想念
の凝縮物)とカルマに囲まれた中で、過去を忘却して、この物質界で一から、自分と肉体を同一視し
た人生が始まります(この脳の仕組みは死ぬまで続いて解けることは在りません)。
既に誕生前に、受胎の段階で与えられている設計図に従い肉体と性格が決定され、条件付けられ
た人生が始まるのです。
そして徐々に脳に入ってくる想念帯からのマインドによって、更に条件付けられて現在の虚構の人格
群=私、エゴがつくりだされて、その中での生活が始まります。
そしてアストラル・サイキック体のチャクラに取り憑いているワサナとカルマに更に翻弄されます。
それらは全て自分という意識と意志を持っており、この人格の私群として現在意識に意識されます。
U:最初のおぎゃーという吸気で肉体の中に生命である、真我がハートに繋がります。
この真我との繋がりが本当の意味での物質界での誕生です
聖なる存在がこの有機体と繋がったのです
「私は肉体ではありません
私はマインドではありません
私は観念です
私は存在しません」
このことが非二元性の対象を待たない気づきから分かったとき
真我とつながります、そして私達の意識が本来の意識になったとき
分かります。
この現象界の悲しみの輪廻という、カラクリが虚構であり、この転生という現象も虚像で
本当は存在しないことを
そして、私達は本当に自由であることを
しかし、通常はこの地球という低いレベルの星では覚醒はほとんど無く
真我からの目覚めはありません
従って、この物質界という現象の世界に、そして地球特有の物質界、幽界、霊界という三界での転生
という現象は続いてしまうのです
B肉体の死後
T:通常は眠りに陥り、今回の人生で形成された人格(今生のワサナ)の意識状態として目を覚まし、ス
ピリットとしての自覚はない状態のまま、(まして真我としての覚醒もなく)物質界にいるときと、同じよ
うにマインドで形成した人格のままで、自分のステージと等しい親和する階層へと引き寄せられます。
そして想念形態で物質界にいたときと全く同じような環境を作り出していきます、殆ど変わらない環境
なので驚かされます。
悲しいことに、物質界にいたときと、全く同じ眠りが続いているのに気がつくことなく…
。
さて臨終に際しては、通常は呼吸が荒い状態におちいります、それはスピリットが肉体から次の階層
で使用する乗り物のアストラル身体に繋がり始め、肉体を維持していたエーテル複体からスピリッ
トに繋がり伸びていた霊的な魂の緒が切断されようとしているためです。
スピリットは肉体と次の想念体であるアストラル体の間を行ったり来たりしています、それがこの荒い
呼吸です。
そして、最後の臨終の息を引き取るときの呼気で「ハアー」と吐いたときに、スピリットはこの肉体
から離れます。
肉体に生まれるときも、離れるときも呼吸と連動しているのです。
そして有機体からスピリットは離れます、有機体である肉体はエーテル複体とともに崩壊されていき
ます。
その後スピリットは眠りに陥り、目が覚めると、幽界や霊界での親しい親族や友人達や光の存在達
が現れ、その導きで、本人の進化レベルに合わせた、49界のいづれかでの生活が始まります。
そして、自分を見ると、自分は若返り25〜30才ぐらいの身体であることに驚かされます、そして素晴ら
しい衣服をまとい(自分が想念で作り出しているので)、何でも想念のままに、実際に、物質よりももっ
とリアルに、ものが作られ存在している事に驚かされます。
そして徐々にこの幽界や霊界での生活方法に慣れてきます。
この世界では想念が直ぐに実現します。
U:肉体の消滅とともに肉体を維持しエネルギーを与えていたエーテル複体も徐々にエーテル界(冥界
)にて消滅していきます。(大体7週間で消滅すると言われている)
それと同時に、肉体を基盤として作られたシュタイナー達が言うアストラル体、メンタル体(本当は擬
似アストラル体、擬似メンタル体で感情体、想念体といった方が適切なのだが)が幽界や霊界での
生活の母胎として、魂の乗り物として機能を果たし始める。
V:スピリットとしての目覚めもなく、真我としての目覚めもないまま、再び眠りに陥り、物質界の母親の
胎内にて呼吸と同時に誕生する、又は在る程度、ステージが上がっている場合は、スピリットとして
は転生するまえに、再びスピリットの本来の階層である天界にて物質界での人生を再び選択する
か、どうかを決定する
W:他の高級なるブラザーの天体では、マインドが想念で構築する霊界や幽界は物質界と共に存在
しない。
天界がスピリットの本来の世界である。
スピリットがマインドの束縛を離れているため、自由に肉体の再創造や高次ノエティック体を使用し
分身を創造できるため、他の惑星や恒星に移動できる。
地球のような死後の世界が在るのは非常にレベルの低い惑星の特性とも言える
※スピリット
真我の延長であり、コーザル体・観照者等とも呼ばれている。真我が現象界に顕現した永遠の
パーソナリティーとも言われている。
輪廻する主体であるが、人格ではない(人格はマインドが作り出した観念である)
真我によって誕生した同質のものである
良く近頃、写真で撮られている玉響かと思われる が不明
真我の現象界の表れであり、マインドに被われ包まれているが、最終的には、現象界の経験
を積んで真我に戻る運命である
通常スピリットと、この現在意識とのコミュニケーションは、マインドに被われているため不可能で、マ
インドが作り出した人格・エゴは私ではないとの認識レベルに到達したとき、スピリットとしての意識
も復活し現在意識と繋がる。
またスピリットに附属する真性サイキック体、真性ノエティック体などの発達の度合いに応じてスピリ
ットは光を放つとも言われている。スピリットは形、色、香、音楽を放っている。
スピリットが真我に一体になるとき、それは自分の最終の死でもある、最終の第2の磔でもある
※真我
神我、全ての人とワンネスで万物と一つであるが思考や概念の接近を許さない
見るものは見られるものであるなかに、非二元性の中に顕現する
私達の本質であるがハートの聖なる空間から、そこに至る道が開けている
(サイキック体のハートのチャクラと、真我の宿るハートの空間は近い場所に感じられるが、別で
ある)
真我はリアリティーであり、時間と空間を超越している、どこにもあり、いつもある
それは現象界を成立させている根源である
悟りとは真我と一つになることであり、そこへ現在の意識が移行した場合は、スピリット・魂もなく
輪廻転生もない真実のリアリティーの世界か開顕する 。
愛と喜びと英知などは真我の特性である
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