自我とは


自我の源の探求が解放に導くというラマナ・マハルシは以下のように私達に指し示しております
           
「ナチュラルスピリット社・不滅の意識(ラマナ・マハルシとの会話)より抜粋」

・自我の源を探求し、自我が消えれば、残っているものが真我です

・「私」という想念として現れ、それ自身を身体と同一視し、目を通じてそれ自身を投影
 し、周りに対象を見ている一つの意識だけがあります。
 しかしその意識は見るもの、見られるもの、見ることが全て同じ意識の表れであることを認めるこ
 とは出来ないでしょう。

・終極的な目標は心の消滅です。

・心を探し求めなさい、探し求められるとそれは消えていくでしょう。
 心は想念の束に過ぎません、想念は考える人がいるから起こるのです。考える人はエゴです。
 エゴはもし探し求められると、自動的に消えるでしょう。
 エゴと心は同じものです。
 エゴはそれから他の全ての想念が起こってくる根源の想念です。

・あなたがする必要のあることは、その起源を見つけ出し、そこにとどまることです、その先はどん
 な努力もそれを明かすことは出来ません


エゴのようなものがあると考えること自体が誤りなのです、何故ならエゴは「私」という想念であり
 、我々自身は 本当の「私」なのですから、想念のない状態がそれ自体、真我実現なのです。

・「我々が見る」というのは間違っているのです。というのは、誰が見ているのかを知ろうとすると、
 見るものは消えてしまうからです。「私」は主体であり、他の全ての想念は対象物からなっており、
 それが心なのです。

・個人の感覚である「私」は、本当の真我が心の中に反射した映像です。
 あなた自身で「私は誰か」という問いを発しなさい。
 身体とその機能は「私」ではありません。
 より一層探求しなさい。
 感覚とその機能は「私」ではありません。
 一層深いところに到達しなさい。
 心とその機能は私ではありません。
 次の段階では、「どこからその想念がおこっているのか」という問いかけです。
 想念は自然発生的であり、表面的であり、分析的なものです。
 
 誰がそれに気がつくのでしょうか。その存在と作用は個人にとって明らかになるものです。
 分析の結果、個人的性格が想念の存在に気づかせるように作用するという、結論が導かれます。
 これがエゴなのです。
 「この私とは誰なのか、それはどこから表れてくるのか」と一層探求しなさい。
 眠りを分析してみなさい。
 「私がある」ということが、三つの状態−眠り、目覚、夢の基礎にあるものです。

 真我で無い全てのものを捨て去った後に、我々は残余−真我である絶対者−を発見します。
 世界とエゴの双方は目的物であり、分析の過程で除去されねばなりません。
 非実在が除去されると実在が生き残ります。
 このことを達成するために、二元的な観念の創造者でありエゴの創造者である心を除去しなさい。
 心は生命の表れの一形態なのです。

 個人は真我なしには存在できませんが、真我は個人なしに存在することが出来ます

・私という想念はどこに発生するのですか、それを突き止めなさい。私という想念は消え失せるで
 しょう。至高の真我がそれ自身でかがやくでしょう。

真我とは非二元性である、主体も対象も同じものである

・真の認識者あるいは意識が見られるならば、見られるべき対象はないでしょう

・真我を知る前に古いワサナと心を完全に絶滅しなければならない。



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