「あなたの中に宇宙がある」イブン・アラビー
あなたの中に宇宙が有る。
沈黙の奥にあなたは何を感じるだろうか?
外の世界はつねに動き続けている。
目に見えるもの、
手に触れるもの、
言葉として発せられるもの、
人はそれを現実と呼ぶけれども
本当の現実は
その奥にあるものだ。
私はあなたに伝えたい。
あなたの中に宇宙が有る。
それは詩ではない
比喩でもない
それは、
全ての存在が静かに息づいている“現実”だ。
この世界は
一つの息から生まれた。
無限の優しさをたたえたその息は、
音を持ち、形を持ち、文字を作り、世界を開いた。
あなたもまた、
その息から生まれた一つのあらわれ。
つまり宇宙は
あなたの外に在るのではなく
あなたの中に映し出されている。
心を深く見つめてご覧。
そこには、説明できない「何か」が在るはずだ。
それは意識の奥に
静かに拡がっている。
「雲」のような場所。
まだ何も形を持たず
けれど、全ての可能性を孕んだ空間。
私はその場所に「雲」という名を与えた。
世界はそこから生まれ
又そこへと帰って行く。。
その雲は遠くに在るのではない
今此処に
あなたの心の奥で
静かに存在している。
誰もがそこへ帰ることが出来る。
思考が静まったとき、
言葉を探す必要がなくなったとき、
ただ「在る」という感覚だけが残る。
その「在る」という感覚こそが
あなたの本質だ。
名も、形も超えた場所で
その感覚の奥を
もう少しだけ覗いてみてほしい。
そこには限りない拡がりと
静けさをたたえた宇宙が静かに在る。
あなたはその宇宙の一部ではない。
あなたはその宇宙そのものなのだ。
友よ
あなたの中にある
「雲」のこと
少し思い出してくれたかな、
まだ、かたちをもたず
静かに満ちているその空間。
言葉になる前の想いが
息を潜めて揺れている場所。
そこは只の空っぽではない。
全ての可能性が
沈黙の中に抱かれている。
まだ芽吹く前の種が
土の中に眠るように
あらゆる世界は
その雲から芽を出し
かたちを持って行く。
けれど、この雲は
あなただけのものではないんだ、
それは「存在すること」そのものなんだよ。
この世界には無限の界層がある。
目にみえるもの、
見えないもの、
石や木や星、
人間の感情、時間の流れ
それらすべてが
存在の一つの段階であり
それぞれに「神の息」が
形を変えて流れている。
でもね、それは縦に並んだものじゃない
上下ではない。
すべてはあなたのうちに折りたたまれている。
あなたは世界の中心ではない。
でも同時に、
世界そのものでもあるんだ。
なぜなら、全ての存在が
あなたという「鏡」に映っているから。
この鏡はただ映すだけではない
世界を反射しながら
同時にその意味を問う。
感情が動くとき
それはあなたの内なる
宇宙がさざめく音。
出会いが起こるとき、
それは宇宙があなたに語りかけている証。
だからね
あなたが誰かを見ているとき
本当は、自分自身の中にある
何かを見つめている。
優しさも、怒りも、羨望も
それはあなたの宇宙が
あなたに語っている言葉なんだ。
この世界のあらゆる存在は
神の自己開示として
あなたの前に姿を顕している。
そして、あなた自身もまた
神が「自分自身を知るため」
に写し出した一つの姿。
だから、あなたの中に
宇宙が有るというのは
あなたが特別だからではない。
それは、全ての存在が、
神の光を宿しているという、
静かな真理。
この気づきの中に入っていくと、
境界はだんだんとかすんでいく。
わたし、あなた、
あの人、あのもの・・・・
それらすべてが
一つの呼吸の中に
溶けていく感覚を持ち始める。
友よ
それを不思議に思わないで下さい。
むしろ、それが本来のあなたのあり方なのだ。
あなたのなかに世界があると言うことは、
あなたが世界をやさしく
抱きしめられる存在だ。
と言うことである。
さあ友よ
ここまでゆっくりと
あなたの中の宇宙を見てきたね
ではもう一つだけ
深く静かな問いを一緒に見つめてみよう。
わたしとあなたの間に
本当に何かがあるのだろうか?
あなたという存在と
世界という現象、
それはまるで
別々のもののように、
思えるかも知れない。
でも本当はどうだろう。
その分け目は何処にある?
その境界線は、どこから来た?
私が見てきたのはね、
すべてが「一つの存在」、
として流れているという真実だった。
わたしたちはそれぞれに名を持ち、
形を持ち、
思考を持つ、
けれど、そのすべては
ただ一つの「在ること」が
さまざまな姿になって
あらわれているだけなんだ。
あなたが「わたし」と呼ぶもの
それは、たったいま
この瞬間も変わり続けている。
感情が移り、身体が成長し、
考え方も変わる。
それなのに、なぜ「私」は
変わらずにここにいるのか?
それは「わたし」が
本当は名前やかたちではないからなんだよ。
真の「わたし」とは
その変わっていくすべての背後で
ただ在り続けている
沈黙のような存在。
そしてね、あなたの中の
その「わたし」は、
わたしのなかの「私」と
何の違いもない。
わたしたちが別々に見えるのは
丁度、光がガラスの中で、
別れて映るのに似ている。
光は一つ。
でもその映り方が違うだけ、
角度や表面や色によって
違って「見える」だけなんだ。
だからこそ、私は言うんだ。
「わたしとあなたの間に
本質的な違いは無い」。
「あなたの見るすべてのものは
あなたの中にある神の光の映り」。
世界を見るとき
それは世界そのものを
見ているのではなく、
神があなたの目を通して
自分自身を映しているんだ。
誰かの悲しみを見たとき、
あなたはその人の中の光が
弱まっているように
感じるかも知れない。
でも、それはあなたの中の光が
共に揺れているからこそ
感じ取れるものなんだよ。
だから、どんな存在にも
やさしくあろう。
どんな心の動きにも耳を澄ませよう。
なぜなら、それはあなたの宇宙が
語っている声だから。
あなたはわたし。
わたしはあなた。
その深い理解が生まれるとき、
世界は不思議な静けさに包まれ始める。
友よ、
もう分ける必要は無い。
区切る必要も、争う必要もない。
すべては、ひとつの呼吸。
一つの光、一つのいのち。
そしてその中心に
あなたは、やさしく坐っている。
友よ
ここまでゆっくりと
静かな旅をしてきたね。
外の世界では
何も変わっていないように
見えるかもしれない。
けれど、あなたのなかでは
静かに何かが
開かれ始めている。
気づいているだろうか
あなたが問いかけを重ねる度に
言葉は優しく解けて
「わたし」という輪郭が、
そっとかすんでいったことに。
そしてその奥から
とても静かな
でも確かなものが
姿をあらわしてきたことに。
「ただ在る」という感覚。
名前も、役割も、目標もいらない。
何かになる必要も、
何かから逃げる必要もない。
ただ、在る。
それだけで、すでにすべてだった。
この「在ること」こそが、
宇宙の根であり、
あなたのもっとも
深い本質でもある。
それは遠くの星々の向こうにあるわけでも
難しい理論の中に
隠されているわけでもない。
いま、ここに、
息をしているこの瞬間に
あなたはそのままで、完全だった。
問いを繰り返すことは
必要なことだった、
「わたしは誰か?」という問いは
あなたを深く内側へと
導いてくれる灯だった。
けれど、旅の終わりには、
その問いさえも、そっと手放していい。
なぜなら
「答え」ではなく「在ること」こそが
すでに答えだったから。
友よ
この気づきを、日常に持ち帰ってほしい。
朝の光に包まれるときも、
誰かに声を掛けられたときも、
心が揺れたときも、
すべての瞬間に、
「神の眼差し」が宿っていると知ってほしい。
そしてその眼差しは
決してあなたから
離れたことはなかった。
むしろ、あなたが
その眼差しだったのだ。
だから、もう焦らなくていい。
どこかに行こうとしなくていい。
何かになろうとしなくていい。
あなたは
もう宇宙の中心に還っている。
やさしく、静かに。
ただ、そこに在るだけで
すべてが、あなたの中にある。
すべてが、あなたである。
この広がりを
忘れそうになったときは、
また目を閉じて
静かに呼吸してごらん。
そして、
何も持たず、
何も求めず
ただ「在ること」に
身を委ねてごらん。
それだけで
もうあなたは
この世界と一つになっている。